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出たとこ勝負で生きるシュンヤがお金と幸せについて考える

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青年海外協力隊に応募した理由をまとめてみる

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青年海外協力隊に合格したことは前回の記事に書いた通りでした。

porian-kyouryokutai.hateblo.jp

 

自分の中では行ってみたいという気持ちがとても大きいものの

まだ決断しきれていません。

 

自分の中の心の葛藤を整理するためにも、

そもそもなぜ青年海外協力隊に応募しようと思ったのか素直に書いてみたいと思います。

 

 

 

 お金と幸福にの関係について考え直したかったから

お金はあったけど幸せではなかった新卒の2年間

これを書くと嫌味のように思われてしまうかもしれませんが

僕が大学を卒業して新卒として入社した会社は、世間的には超有名な大手新聞社でした。

 

大学時代のメガバンクなどへ行った同期と比べても

年収は恐らく100万円以上は高かっただろうし、

就活サイトなどで見ることができる社員の平均年収は1000万円を超えていました。

 

お金もたくさんもらえてウハウハだなどと入社前はのんきに考えていましたが

入ってから思ったことは

「あれ?なんか違うな?」

という違和感でした。

 

具体的な業務としては新聞紙面の広告枠をセールスする営業をしていました。

紙面での広告というのは難しいもので、

自社の製品やブランドを知ってほしいというお客さんに広告を出してもらうのですが

いざ出してもらってもその効果がどうだったかなんていうことは誰にもわからないのです。

 

これがまだウェブ広告などであれば

どれだけの数見られたか、クリックされたかなどの指標があるので

意味があったかどうかの判別もつきそうなものですが

紙面での広告というのは特にこの効果を測ることは難しく、

自分のやっている仕事がお客さんのためになっている

という実感をもつことはほとんどなかったです。

 

加えて、営業にどうしても付いてまわる数字にもどうしても興味が持てませんでした。

毎月毎月、達成目指して追いかける、さながらハムスターの回し車のようなノルマは

仮に達成したとしても、翌年の自分にのしかかるだけというマゾ御用達の仕様でした。

 

やっている仕事の意義も分からず、無限に続く数字にも興味が持てない日々は

ぼくの心をとても摩耗させていくのを感じました。

 

多くもらっているはずのお金もストレス発散で使う

飲み代へと消えていき、まったく貯まっていなかったです。

 

やりたいことをやって輝く人達を見て思ったこと

僕の周りの友人たちにはやりたいことをやって

キラキラと輝いている人たちが何人かいました。

その中には奨学金の返済を抱えながら、やりたい美容師の仕事をやっている人や

月の生活費を切り詰めながら、中学校の先生をやっている人。

毎日夜遅くまで働いているけど、将来の目標のために頑張っている友人。

 

他にも挙げられますが、彼らは決してお金のために働いている訳ではないのに

とても輝いていて、幸せそうに見えました。

 

一方で

「仕事のアウトプットに対して楽して給料が稼げるから続けてるんだよなー」

という先輩、

「待遇が良くて、面白くないけど転職しない」

という同期。

 

もちろんお金が大事なことはわかっているけれど、それだけが幸せにつながるかどうか

会社の外の人達と自分の現状に目を向けたら、とてもそうとは思えませんでした。

 

だったら、物質的にも日本と比べたらまったく豊かではない

発展途上国で生きている人たちがどんな生き方をしているのか、

彼らの幸福観とはなんなのか。

 

実際に行って、一緒に生活することでそれが少しでもわかるんじゃないか。

「貧困は不幸か、裕福は幸福か」

この答えを見つけられるのではないか。

そう思って応募をしました。

 

先生になろうと思ったから

色々な生き方を応援できる先生に

1つ目の理由に挙げた、お金と幸福についてとも関連しますが

日本ではいい大学に入って、いい会社に入って一生勤め上げるのが

定型化した幸福の形であるといわれています。

そしてこのレールから外れる事を恐怖し、

そこから降りた人たちは、バカにされたりするわけです。

 

もちろんこのレールだけが幸せにつながる唯一の道である訳がないですが、

日本社会を覆うこの、狂気じみた洗脳ともいえる通念が

希望をもって生きづらくしている原因の一つなんじゃないかと思うわけです。

 

定型だけでない多様な生き方を各人が実現していくためには

教育の力が必要なんじゃないかと思っています。

誰もが小さいときには持っていたであろう

やりたいこと、夢を本気で応援する先生になりたいと思います。

 

けれどレールの上に乗っかってきただけの自分では、

他人のやりたいことに本当の意味で共感できないんじゃないだろうか。

 

その為には、まず今まで乗ってきたレールから降りて

違う世界を見に行ってみる必要があるのではないだろうか、

自らが体験してなければ色々な生き方を応援することはできないんじゃないだろうか。

そう思ったのも理由の一つです。

 

 先生という仕事を実際に経験できる

青年海外協力隊はたくさんの職種があり、自分のスキルをいかして

発展途上国に支援をおこなうこととされています。

その意味では、ぼくはまだ教員免許の勉強中という身であるため

スキルをいかした援助という観点では十分なことができないと思います。

 

それでも実際に教員として子供たちの前に立ち、

2年間という長期にわたって経験をすることができる制度というのはなかなかありません。

募集前の説明会でも言われていたのですが、

教員免許を持っていなくても活躍している先輩隊員たちが数多くいることも

応募をする理由の後押しになりました。

 

2年間身分が保証され、お金ももらえる

 上の2つの理由に比べると現実的な理由はこれです。

色々ときれいごとともいえることをを思いながら、

でもやはりレールから一気に飛び降りてしまうのは非常に怖い。

 

でも青年海外協力隊であれば、現地の生活費に加えて別途手当ももらうことができます。

まだまだ24歳、だけど帰って来る時を考えたら27歳。

「貧困は不幸か」はテーマではあるけれど

一文無しでは生活ができません。

 

2年間JICAという組織に守られながら、

お金ももらって経験を積むことができる青年海外協力隊という制度は

世間知らずで生きてきた自分にぴったりの制度なんじゃないかと思っています。

 

いろんなことを言ってもやっぱり悩む!(笑)

上の3つでは応募した理由を書き連ねましたが

やっぱり人間、状況を大きく変えるのは怖いし勇気がいります。

いったところでもしかしたら何もできないかもしれない

という思いもあります。

 

合格をして本当の意味で選択肢を持つことが出来ましたが

本当に飛び込むのか?

その覚悟をきめなければなりません。

 

やってみたいという気持ちもあるし、

行ってしまえば何とかなるだろうという楽観もあるけれど

やっぱり色々考えますね。

 

退職というのも未知でなかなか怖いです。

 もう少しだけ、考えてみます。

 

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